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子曰はく、士、道に志して悪衣悪食を恥づる者は未だ与に議するに足らざるなり。
[通釈]志たる者が誠に道を悟りを得ようと思うならば、ただ道あることを知って物質に心を累わされるようなことはないはずである。しかるに自己の衣服の悪しく飲食の悪しきを恥ずる者は、その心が卑しくて、ともに道を議するに足りないものである。
宇野哲人著 「論語新釈」より
更新日:2012年2月17日
「龍になれ。雲、自ずから集まる」
作家・武者小路実篤のことばで、「ビジョンを示せ。そうすれば、賛同した人々は自ずと集まってくる。賛同していない人も最後には賛同してくれるようになる」という意味である。
長田 貴仁著 『社長の値打ち 「難しい時代」にどうあるべきか』より
更新日:2012年2月6日
今や、京都を代表する電子部品メーカーとなった村田製作所の創業者・村田昭の実家である村田製陶所は、清水焼の技術を活かし硝子を製造・販売していた。
ある日、村田昭は父の吉良に「こんな小さな商売では儲けもタカが知れているし、発展性もない。もっと手を広げて大きく伸ばそう」と進言した。ところが、これに対して父は、次のようにいった。
「注文を多く取ろうとすれば、同業者の得意先へ行くことになり、同業者より安くしないと注文はもらえない。それでは同業者が困るし、自分のところも儲からない仕事をすることになる。そんなことはやるべきではない」
吉良は、正確はおだやかだったが義理堅く、同業者の得意先を荒らすようなやり方をもっとも嫌ったのである。このことを通じて昭の中に、「単なる価格競争で商売するのではなく、人のできない独自性のあるもので商売する」というその後の同社経営の根幹となる考えが生まれた。
長田 貴仁著 『社長の値打ち 「難しい時代」にどうあるべきか』より
更新日:2012年2月6日
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かちあうことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、
子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる
ドロシー・ロー・ノルト著 「子どもが育つ魔法の言葉 for the Heart」より
更新日:2012年2月2日
日本人は「努力信仰」を持つということが、しばしば語られてきた。
しかし、現代の若者たちは、昔の人たちのように、努力を重視しているとは考えがたい。
努力には、どうしても「忍耐」や「我慢」が伴うが、彼ら自身はむしろ、忍耐や我慢をして努力する姿を冷笑するようになったことは確かであろう。
現代の若者たちは熱くなれないのだ。忍耐や我慢は、彼らからすれば「かっこ悪いもの」の代表格なのである。
だからといって、彼らは望ましい結果や勝利を望んでいないわけではない。努力なくしてすばらしい結果を手にすることが、最も「かっこいい」と考えている。
仮想的有能感を持つ人が、通常の意味での達成動機づけの高い人とは思われない。
彼らは人前では自分はできるはずであることを示そうとする。そして成功した場合には、自分はほとんど努力しなかったのに、結構いい線いっていると吹聴する。
しかし、失敗した場合は、「急に家庭で大事故がおこった」「体の調子が悪くなった」「そもそも意味のないテストなので勉強しなかった」というように、さまざまな口実をあげつらう。
努力は諸刃の件であり、それによって目標を達成させることも可能だが、努力をつぎ込んだのに失敗した場合、努力しない場合よりも深く傷つくことになる。
現代の若者たちは後者の場合をひどく恐れているように見える。
速水 敏彦著 「他人を見下す若者たち」より
更新日:2012年1月27日
「ユーモア」の源泉
ところで、笑いには相手を見ての笑いだけでなく、自分の姿を見つめての笑いもある。
自分の情けなさや無力さ、あるいは、いたらなさを冷静に見つめることによってホロリと笑ってしまう、言うなれば悲しみ型の笑いというものもある。
おそらく、仮想的有能感の高い人たちは、このような笑いを感じることがない。
自分を笑うことができないのである。
それは自分をゆっくり外側から冷静に見つめるだけの余裕がないことを物語っており、さらに、自分が傷つくことを極度に恐れているためでもある。
「ユーモアの源泉は哀愁である」というマーク・トウェインの言葉があるが、本当のユーモアは、周りを下に見て笑うのではなく、自分の人間としてのいたらなさ、不十分さといった、本来悲しみの源泉となるようなものを、少し距離をおいて他人の立場で眺められるようになったときに、生じるものではなかろうか。
速水 敏彦著 「他人を見下す若者たち」より
更新日:2012年1月27日
ほかの人たちを大切にするように、自分自身を大切にすると、より幸せになる。
なぜなら、自分自身を大切にするほど、自分に対しても、ほかの人に対しても、
憤ることが少なくなるから。
そして、それだけ愛情豊かな人間になれるからである。
更新日:2012年1月23日
こんな社長は要らない
・現場の足を引っ張る社長
・会社にしがみつく社長
・従業員に厳しく自分に甘い社長
・威張る社長
・引きこもり社長
・品格なき社長
・無責任な社長
・ウソをつく社長
・不正を働く社長
長田 貴仁著 『社長の値打ち 「難しい時代」にどうあるべきか』
更新日:2012年1月19日
自分自身のための1分間
それは何か
自分自身を大切にすることと、
家族や友人や、仕事を大切にすることのバランスをとる。
他の人たちに自分をこう扱ってもらいたい、
というやり方で自分自身を扱う。
立ち止まり、見つめ、耳を澄ます。
自分自身のための1分間を、毎日数回とり、
立ち止まってこうたずねる・・・
「今すぐ自分自身を大切にするよい方法はないか」と。
答えは自分自身の中にあることを知っている。
静かに自分自身の「最上の自我」の知恵に耳を傾け、それを待つ。
最善の策を発見したら、それをいつも行なう。
自分自身に与え、自分自身から受け取る。
そうすれば、私はより幸せになる。
更新日:2012年1月11日
自我追求への苦闘の中で望むものを手に入れたとき、
そして世界がその日、足下にひれ伏し自分が王と思えた日、
鏡の前に行き、自分を見つめよう。
そして鏡の中のその男は何を語るかを探ろう。
あなたを裁くのは、父でもなく母でもなく妻でもない。
あなたの人生でもっとも大事な審判は、鏡の中であなたを見つめ返す、
鏡の中の男そのものの裁き。
きまじめな人間と思われようと、
いい奴だといわれようと、
鏡の中の男は、あなたをくずだという。
もしあなたがその目をそらして直視できないならば。
その男こそ喜ばせなければならない人、その他は一切かまうことなく、
最後までとことんあなたと共にいるのは、鏡に中のその男。
その男と友になれたなら、
最も危険で難しい試験を通過したことになる。
人生の旅の道筋のなかで、世のすべての人びとを欺くこともできなくはない。
道すがらよくやったと背を叩かれることもあろう。
だが、最後の報いは心の痛みと涙、
もし鏡の中の男を欺いたならば。
ディル・ウィムブロー
ダイヤモンド社「人間的経営の力」K・ブランチャード、N・V・ピール著より
更新日:2012年1月5日
私たちは、いまや分かれ道にいる。
だが、ロバート・フロストの有名な詩とは違って、どちらの道を選ぶべきか、いまさら迷うまでもない。
長いあいだ旅をしてきた道は、すばらしい高速道路で、すごいスピードに酔うこともできるが、私たちはだまされているのだ。
その行き着く先は、禍いであり、破滅だ。
もう一つの道は、あまり《人もいかない》が、この分かれ道を行くときにこそ、私たちの住んでいるこの地球の安全を守れる、最後の、唯一のチャンスがあるといえよう。
レイチェル・カールソン(アメリカ生物海洋学者)著 青樹簗一訳 「沈黙の春」より
更新日:2011年12月30日
人間は自分たちだけの利便のために自然の営みや自然の歩む時間を狂わせているのではないだろうか。
地球はたくさんの生命で編みあげられたレースでおおわれている。
ひとたび編み目が綻びるとその穴は際限なく広がってしまう。
地球は人間だけのものではない。
すべての生命がともに暮らす共同体なのだ。
われわれは自然を征服する術を求めるよりも、人間自身の行いをコントロールすることをまず学ぶべきではないだろうか?
レイチェル・カーソン アメリカ海洋生物学者
更新日:2011年12月28日
海に行って
海の久遠を眺め
お弁当を食べる
少しの貝と 少しのノリを採り
蒔にする流木を拾い集めて 一日を暮らす
山に行って
山の静かさにひたり
お弁当を食べる
ツワブキの新芽と 少しのヨモギ
蒔にする枯木を拾い集めて 一日を暮らす
一生を暮らす のではない
ただ一日一日
一日一日と 暮らしてゆくのだ
詩人 山尾三省作
更新日:2011年12月26日
道は無限にある
私は、世に行きづまるということはない、というような感じがします。
それでも行きづまるということは、行きづまるようなものの考え方をもっているからである。
行きづまらないような考え方に頭を変えたならば、そこから通ずる道というものは無限にあると、こういうような感じがいたします。
谷口 全平著 「松下幸之助 運をひらく言葉」より
更新日:2011年12月21日
困っても困らない
人間の心というものは孫悟空の如意棒みたいなもんでね、非常に伸び縮みが激しい。
悲観してみずから命を絶つ人もあれば、どんな困難に遭っても、遭うたびにすくすく伸びていく人もおるわな。
それほどまあ違うと。
孫悟空の如意棒は、伸びて六尺、縮まって一分、けれども人間の心は、伸びれば天地をも貫くが、縮まればゼロにもなってしまうわね。
谷口全平著 「松下幸之助 運をひらく言葉」より
更新日:2011年12月19日
男性がこころのバランスを崩すと
男性はパートナーから、あるいは仕事で十分に評価されていないと感じると、バランスを崩し、次にあげるような三つの症状を段階的に示す。
①いっそう仕事人間になる。
②自分の殻に閉じこもったまま、出てこなくなる。
③高圧的に尊敬と感謝を求める。
女性は負担があまりに大きくなると、バランスを崩して問題解決しようとする男性的な面が強くなってしまうので、本来備わっている女らしい話し方で安心して感情を打ち明けられなくなってくる。この傾向は、次の三つの症状として現れる。
①ストレス過剰で食欲旺盛になって、食べ過ぎる。
②家庭内の問題を解決せずにはいられなくなり、リラックスできなくなる。パートナーが力を貸してくれても素直に感謝できない。
③パートナーの心を無理やり開かせて話をさせようとして、かえって問題を引き起こしてしまう。
ジョン・グレイ著 「結婚の知恵」より
更新日:2011年12月12日
私は因果応報ということを信じるべきでした。例の金塊は私の指のあいだからすっぽりとなくなってしまい、ニ度と返ってくる望みもなくなってしまったのですから。
あれからニ週間あとに、その頃いっしょにに暮していた男が突然私の家から逃げ出してしまったのです。その男は私の愛とそれからいまわしい私の金塊をみんな持っていってしまったのです。
私はこの盗難の訴えをしませんでした。
こう思ったのです。
一度だけ、私の生涯でたった一度だけ、人間のもつ徳性のなかでもいちばん美しいものに背いてしまったので、神様が私をこらしめになったのだと。
それは・・・・ひとえに与えるということです。
フランスの生んだ最大のシャンソン歌手・エディット・ピアフ自伝 「わが愛の賛歌」より
更新日:2011年12月9日
流されるだけの人生に転機はない
「転機」というものが、“ものごとの変わり目”という意味であるならば私にとっては、毎日が「転機」であったともいえよう。
何がなしに日々の事態を迎えるというのではなくて、その事態のなかから、自分なりのヒラメキというか、一つの思いというものを感じ、それにもとづいて、新たな道を切りひらく毎日ということが大事なのである。
谷口全平著 「松下幸之助 運をひらく言葉」より
更新日:2011年12月5日
「神の罰より主君の罰おそれるべし、主君の罰より臣下の罰恐るべし、其故は神の罰は祈りてもまぬがるべし。主君の罰は詫言して謝すべし、只臣下百姓にうとまれては必ず国家を失う故祈りても詫言しても其罰はまぬがれがたし、故に神の罰主君の罰よりも臣下万民の罰は尤もおそるべし」
(訳)
神の罰よりも主君の罰を恐れよ。主君の罰よりも臣下の罰を恐れよ。そのわけは、神の罰は祈れば逃れることができようし、主君の罰は詫びを言って謝罪することもできよう。しかし臣下と百姓に嫌われては、領国を失ってしまう。祈っても詫びても、その罰を逃れることは難しい。だから神の罰や主君の罰よりも、臣下万民の罰をなによりも恐れるべきである。
安土桃山時代の武将・黒田孝高「教諭」
更新日:2011年12月2日
慰安と平等と健康を求めて、抜きんでる事や英雄的行為、犠牲を好まない。
怖いのは病気と経済的破綻だけ。
強い信仰もなく哲学も必要がない。
めでたいといえば、めでたいのですが、これで国が、社会が持つのか、次世代に何を残せるのか、大いに不安です。
福田 和也著 「人間の器量」より
更新日:2011年11月30日
自信を失い、とことん無力感におしひしがれた人間が、もし他力の光を感じることができたならば、ひょっとして自信とは別の、人間らしい姿勢が生まれてくるのではないかと空想する。
他力を信じる、<他信>とでもいうような心の状態がありうるのではないか。
自信からくる落ち着きではなく、他信のもたらす穏やかな余裕のことをふと想像してみるのだが、さて、自分のこととしてとうてい考えることができない。
まだちっぽけな自信に目をくらまされているからだろう。
それにしても、堂々というよりも、飄々とした姿勢で暮らしていけたらなあ、と、心ひそかに思う。
五木 寛之著 「人生の目的」より
更新日:2011年11月28日
悩んだり、腹を立てたり、悲観したりすることが社長の仕事である、経営者の仕事である、そういうものがなかったら経営者の生きがいがないのやと、こういうように考えてからだいぶ楽になったですよ。
いまは悩むために自分は存在しているんやから、悩みが本業やなと、こういうような感じを持つようになったんです。
谷口全平著 「松下幸之助・運をひらく言葉」より
更新日:2011年11月24日
われわれをとりまいてる常識、知識というものは、想像以上に根強いものである。
”ああ、それは今まで何度もやってみたんだが、ダメだった。実はこうこう、こういう理由でダメなんだ”
と決め込んでいるものがわれわれの身のまわりには以外と多いと思う。
谷口全平著 「松下幸之助・運をひらく言葉」より
更新日:2011年11月21日
仕事というものは、昔の侍の果たし合いで、一歩劣ったら首が飛んでしまうのと一緒ですからな、早く言えば。
アマチュアというものは娯楽にやるんだけれど、プロというものは真剣勝負しておるわけです。
侍が真剣勝負して首が飛んでしもうて、ほなまたやり直そうということはできへんですもんな。
谷口全平著 「松下幸之助・運をひらく言葉」より
更新日:2011年11月18日
武士は切腹を願った。
刑として下されるものは、斬首、絞首など。
そして許されると切腹が可能だった。
なぜ切腹を望んだのか。
よく言われるように、日本人は腹に最大の重点をおいたから、その腹を切ることに意義があった。
言葉を探すと、腹の大事さは、きりがないほど出てくる。
「腹をきめる」「腹を固める」が決意。
怒ると「腹にすえかね」、鋭く相手の「腹をえぐり」、よくわかると「腹に落ちる」。
「腹を合わせて」協力し、そのためには「腹をわって」話す必要がある。
腹がきれいだと「腹に一物なし」というぐあいになる。
中西進 著「日本人の忘れもの」より
更新日:2011年11月16日
礼節上の五つの要件
(1)貌(ぼう)・・・和やかな顔つきで、人と接しましょう。
(2)言(げん)・・・やさしい言葉で話しましょう。
(3)視(し)・・・やさしいまなざしで相手を見つめましょう。
(4)聴(ちょう)・・・人の話をきちんと聞きましょう。
(5)思( し )・・・人を思いやりましょう。
江戸時代の儒学者・中江藤樹
更新日:2011年11月14日
「不幸を自分で造る人」
○心の暗い人不愉快に暮す人
○絶えず不満や愚痴の多い人
○やる気がなくよくサボル人
○時間も「物」も無駄にする人
○卑下する人自信なく焦る人
○心が狭くすぐ腹を立てる人
○悪友も道楽閑も多すぎる人
○利己的気儘自分本位の人
○欲の深い人自惚れの強い人
○依頼心の強い人苦労に負ける人
○貴重な一生を無駄に過ごす人
京都府舞鶴市 青葉山 西国第29番霊場 松尾寺
頒布物「極楽(しあわせ)、地獄(ふしあわせ)の岐れ路」より
更新日:2011年11月11日
「幸福への近道」
○早起きする人熟睡できる人
○仕事を趣味に能率を計る人
○義務も責任の進んで果たす人
○時間を守る人礼儀正しい人
○人も自分をも尊敬できる人
○常に反省し素直に改める人
○何事も善意に解釈する人
○心身の健康を心掛ける人
○孝心深い人恩に報いる人
○親切で人の為によく尽くす人
○どんな苦労も悠々と耐える人
○生き甲斐を求め精進する人
京都府舞鶴市 青葉山 西国第29番霊場 松尾寺
頒布物「極楽(しあわせ)、地獄(ふしあわせ)の岐れ路」より
更新日:2011年11月9日
羊の仲間のことばで私がもっとも気に入っているのは「羞」という字で、はずかしいという意味に使う。
羞恥心などというだろう。
物にはじることに大きな価値をおいたから羊を書いた。
しかし、現代は羞恥心など無縁の人間ばかりが、身近に目立つではないか。
反対に悪いものの代表がイヌである。これを「犭」であらわす。
「狂」「狡」「犯」「狎」どれをとっても、印象が悪い。
狂っていたり、犯人だったり、狎れなれしかったり。
いまは「独」と書くが本来は「獨」という字、これは孤独などと使うが、もともと犬が集まる様子で、犬は集まるとすぐ喧嘩してかみ合う。
そのかみ合うという字だから、ばらばらで争う集団が「独」である。
これもよくない。
反対にいい集団が「群」。
みなさんの企業は「群」か「独」か。
中西 進著「日本人の忘れもの」より
更新日:2011年11月7日
だいたいにおいては、やはり成功するまでやめないというくらいの志をもってやらないと成るものも成らないということですね。
ちょっとやってみて、うまくいかなかったら、簡単に”もうダメだ”というようなことでは、何をやっても成功しないでしょう。
やっぱり根気よく続けなければいけない。
谷口全平著 「松下幸之助・運をひらく言葉」より
更新日:2011年11月4日
棟梁たるものは工人とともに働くこと。
木を買わず山を買う。堂を建てず伽藍を建てよ。
塔組みは木組み、木組みは木の性組み、木の性組みは人組み、人組みは人の心理み、人の心組みは棟梁の工人への思いやり。
工人の非を責めず、己れの不徳を思え。
西岡家の家訓より
(代々法隆寺や薬師寺などの堂塔の修復・再建に天才的な腕をふるわれた棟梁を生み出した家)
更新日:2011年11月2日
やりたいことは何でもどこまでもやるという、レジャーブームに象徴されるような、野放図な自己容認。それにつけ込んで一儲けしようとする、これまた恐れを知らないコマーシャリズム。
とくに自然に対するおそれを知らないチャレンジは、麻薬やエイズと同じようにこわい。
山河を尊び、天地に祈りをささげた本来の日本人を、日本人だけでもとりもどすべきではないか。いちばん大事なはずの一人ひとりは無自覚に「人間崩壊」を起こしていることに、気づかなければならない。 中西進 著 「日本人の忘れもの」より
更新日:2011年11月1日
現代社会は生命の危機と隣り合わせでいる。
いわば、社会全体が地雷を抱えた原野のようなものだ。
いつ、なにが爆発して生命が奪われるか、わからない。
しかし、こんな「殺人構造体」の社会をつくり出したものは、自然に対するにしろ人間に対するにしろ、その尊厳さを認めようとしない、現代人の欲望である。
中西進 著 「日本人の忘れもの」より
更新日:2011年10月31日
(1)「Learning to know」(知ることの学び)
(2)「Learning to do」(行うことの学び)
(3)「Learning to live together」(共に生きることの学び)
(4)「Learning to be」(存在することの学び)
国際連合教育科学文化機関・ユネスコ・教育理念
更新日:2011年10月28日
相手に態度を変えて欲しいと頼むのは、庭いじりに似ている。
どちらも一番いい時期を見計らって種を蒔いてやらなければいけない。
いったん種を蒔いたら、それを掘り返したりしてはいけない。
後は水をやって、じっと芽が出てくるのを待つだけだ。
ジョン・グレイ著「結婚の知恵」より
更新日:2011年10月26日
中国の道教の言葉でしょうか、<知足>という言葉があります。
自分にとってそれほどのものが必要だろうか。
戦後の五十年間というもの、私たちは豊かな生活と、そして健康で文化的な、そういう社会をつくっていくということで、坂の上の雲をめざして営々と歩きつづけてきたわけですが、人間が生きているということに関して必要なものというのは、それほどたくさんのことなのだろうか。
このことに最近つくづくと考えるようになりました。
五木寛之著「人生の目的」より
更新日:2011年10月24日
人生に決められた目的はない、と私は思う。
しかし、目的のない人生はさびしい。
さびしいだけでなく、むなしい。
むなしい人生は、なにか大きな困難にぶつかったときに、つづかない。
人生の目的は、「自分の人生の目的」をさがすことである。
自分ひとりの目的、世界中の誰ともちがう自分だけの「生きる意味」を見出すことである。
変な言いかただが、「自分の人生の目的を見つけるのが、人生の目的である」と言ってもいい。
私はそう思う。
五木寛之著 「人生の目的」より
更新日:2011年10月21日
器量というのは、水平に広がるものです。
「水平?」「広がる?」いきなり云われても戸惑いますよね。
今の世間は、高い、低いが人の価値尺度の基準になっています。
高学歴とか低収入とか。英語検定の得点が高いとか、偏差値が低いとか。
垂直ばかり気にしている。
でも器量というのは、高い低いではないのですね。
水平というか、面積というか。デカい、ちっちぇ。
やみくもに上を、より高いものだけをめざしても、人の器は育ちません。
異質なもの、未知なものと触れ、感応する力が必要です。
大学の教員を長くやっていると、人の尺度は高い、低いではないな、と思います。 福田和也著「人間の器量」より
更新日:2011年10月19日
幸運を呼ぶ秘けつ
(1)プラス発想の人になること
「自分はついている人間だから必ず幸運の女神が訪れてくる」と信じて行動していると、不思議にそうなってくる。
(2)すなおで、肯定的な人になること
まず肯定して、相手を立てる。それから自分の意見を述べる。相手への思いやりの心を持つとともに、常に前向きの姿勢で物事を見ることが大切である。
(3)勉強好きな人になること
あらゆる人から学ぼうとする謙虚な心構えと姿勢が求められる。
ダスキン創業者 駒井茂春氏 「幸運を呼ぶ秘けつ”三か条”」
更新日:2011年10月17日
(1)小欲医惑・・・欲を少なくして惑(まどい)をいやす。禅語でいう「小欲知足」の精神が求められる。
(2)静座医躁・・・静座して躁(がさつさ)をいやす。「躁人」(さわがしい人)と言われぬようにしたい。
(3)省事医忙・・・事を省いて忙をいやす。忙は”忄”(心)を”亡”(うしなう)ことに通じる。
(4)択友医迂・・・友をえらんで迂(にぶさ)をいやす。迂とは物事にうといさまをいう。
(5)読書医俗・・・書を読んで俗をいやす。人間学ぶことを忘れず、雅(みやび)に生きたい。
陽明学者 安岡正篤 「五医」の自療法より
更新日:2011年10月14日
来る者は拒まず、去る者は追わずと云うは疎し。来る者は拒まずは然り、去る者も追うべし。 第19代内閣総理大臣 原敬 福田和也著 人間の器量より
更新日:2011年10月12日
ボクには人に負けないものがある。それは手足がないこと。 乙武洋匡
更新日:2011年10月10日
自分を癒す「能力」は誰の中にもある。心を開けない時でも、否定的な気持ちに溺れて冷たい態度で相手に接してしまうのではなく、その落ち込みの時期を自分を癒すために使うといい。相手を非難して態度を変えさせるのではなく、自分自身を変えることに専念しよう。心を開いて相手を許す気持ちになったら、「はじめの不満の原因となった問題」を解決したり、その方法を見つけることに再び力を注げばいい。 アメリカ心理カウンセラー ジョン・グレイ
更新日:2011年10月7日
けれど、今はどうでしょうか。優れた人はいるでしょう。専門知に秀でた人もたくさんいるでしょう。商才に秀でた人もたくさんいるでしょう。人あたりのいい、感じのよい人もいるでしょう。
けれど、誠に断念なことに、人物を呼べるほどの人はいない。
みな才子なのです。
小利口で、目端がきいて、気の利いた事も言える。場合によっては、大物ぶってみるほどの技すらもっているでしょう。
良心的で、真面目で人間愛に満ちている。
けれども、到底人物とはいえない。
小粒な、おさまりのいい、メディアが重宝がるだけの存在にすぎない。
深みもなければ。重みもない。
要領だけは滅法よく、情報技術に通じている。
そういった小粒な才子は、いくらでもいるけれど、人物と云い得るほどの存在は、まったくいないのです。 福田和也著「人間の器量」より
更新日:2011年10月5日
かつてフジテレビで、『オレたちひょうきん族』などの人気番組を作った横澤彪さんが、退社後務めた、吉本興業の話です。
吉本では、1人1人のプロデューサーに赤字額を設定するとか。
「中田は4千万、後藤は六千万、中瀬は1億や」という風に各人が出してもいい赤字の額を設定する。その範囲で仕事をしなさい、と。赤字四千万というのは、この男はそれくらいなら冒険すてもいい、なんとか挽回できる、投資に値するという事ですね。
つまり赤字の幅が、吉本興業という会社から見た、それぞれの器の大きさというわけです。単純に履歴とか業績だけを見るのではなく、人としての大きさ、可能性を見てのことでしょう。 福田和也著「人間の器量」より
更新日:2011年10月3日
人間の見方が、薄っぺらになっている。そう感じることはないでしょうか。人を測る物差しが、一本かニ本ぐらいしかない。能力があるか、ないか。感じがよいか、いやか。いい人か、悪い人か。その程度の事で、もて囃されたり、貶められたりする。昨日までの人気者が、あっという間に、踏みにじられる。先ほどまで、持ち上げて人を、一刀両断して何の疑問も感じない。その変わり身を恥じる事もない。 福田和也著「人間の器量」より
更新日:2011年9月30日
事がうまくいかない時に君子は自分の身に立ちかえって反省するが、小人は全てを他人の責任にする 孔子
更新日:2011年9月28日
子 曰く、自分の間違った事に気付きながら、あくまで、非を通そうという人がいる。そこに過失が完成される。 論語
更新日:2011年9月26日
小才は縁と出会って縁に気付かず、中才は縁に気付いて縁を生かさず、大才は袖すりおうた縁をも生かす 徳川家、武芸指南役 柳生家の家訓
更新日:2011年9月21日
世間は誰一人として君の成功を邪魔したりしない。上手くいかないというのは外部の事情ではなく、自分自身に原因があるものだ。外部のせいではない。理由は自分にあるという事を常に心しておく必要がある。 松下幸之助
更新日:2011年9月16日
この憂鬱な世の中で悲しい目に遭わない者などない。悲しみは激しい苦しみを呼び、ただ時の他には完全に救ってくれるものは何もない。しかしそれは間違っている。人はまたいつか必ず幸福になれる、そのまぎれもない事実を知れば、惨めさは今この時にさえやすらぐだろう。私は自分の経験からそう信じている 第16代アメリカ合衆国大統領 エイブラハム・リンカーン
更新日:2011年9月13日
もの事の本質を知る事は難しく、何が問題かを考え抜いたら、むしろ行う事の方が簡単である 中国の哲学者 王陽明
更新日:2011年9月9日